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虫マップ 手塚治虫ゆかりの地を訪ねて

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親友が語る手塚治虫の少年時代(16)家庭における手塚治虫(5)

 兄貴のとてつもない発想というか、さきほど綾子さんのお話で、火星人を作って紐で動かしたというお話を聞いてるうちに思い出したんですけどね、「皆さん、火星人の声を聴いたことがありますか?」って兄貴が言うんですよね。もちろん聴いたことあるわけないんですけども。「今からお聞かせします」と。その火星人の声を、私、やらされたんですよね。ちゃんと指導があったんです。火星人の模型を動かしている部屋に、水道と陶器製の洗面台があったんです。その洗面台が普段使ってないから水を溜めこんで一挙に流しますと、ガーッという音がするんです。「浩、お前黙ってていいから、水をいっぱい入れとけ」と。で、「僕が『火星人の声をみなさんにお聞かせします』と言ったときに水を流せ」と言うわけです。「いっぺんに流したらアカン。少しずつ流せ。」ということで、私は言われたとおりしましてね。やっぱりガーッという音がするんですね。「これが火星人の声です。皆さんわかりましたか」と。それを2、3度繰り返さされて、それは全部私がやったんで、お話聞いて思い出しましたけれども。そういうとこはすごい発想だと思いますね。私が下手な声でギャーギャーいうよりも、水道の水の流れる音が兄貴の火星人のイメージだったんでしょうね。大森先生、覚えてらっしゃいませんか?

大森 ちょっとそれは覚えてないですねえ。

美奈子 どなたがいらっしゃったの?

 んーとねえ、荻野さんが来てらして、アンタ(美奈子)もいたし…

美奈子 宝塚のグループの中?それとも…

 7、8人くらいいたんじゃあ…

美奈子 そしたらやっぱり大森さん達も入ってらしたんじゃないの?

 何をしゃべってもいいんだったらね、とっておきの治虫の思い出。これ、いまだに忘れませんけども、私の部屋の隣がトイレだったんですよね。汚い話で恐縮なんですけども、治虫がトイレに入りますと、何秒かしますと中で何か一生懸命に喋っているんですよね。何を喋っているかわかんないんだけども、時々「ドカーン」「ヒュー」とかいう擬音が入るんです。あれはトイレに入る度に言うんです。トイレに入ってそれだけ喋ったり声を出したりするわけですから大きいほうのトイレですよね。大のトイレの時に、必ずとい
うほどやっていましたね。だから自分が漫画の主人公になったつもりで、何か一生懸命セリフ喋っていたのか、ディズニーの漫画なんかのシーンを思い出して、それを 自分の気持ちの中で再現してつい声に出してしまうのか。もちろん学校行っている時ですから小学生のときですよ。中学に入ってそんなことできないでしょう(笑)。

美奈子 やりかねない(笑)。

 小学校5、6年の頃だったと思います。それだけです。これは今まで出た治虫の伝記、本の中に全然書かれてなかったでしょう。書けませんからね(笑)。これは本当の話。嘘じゃありません。

美奈子 付け加えますと、終戦直後の昭和20(1945)年10月、11月に宝塚歌劇の公演を観に行きました。大歌劇場は接収されていましたので、北野劇場という映画館で再開したことあるんですよね。そこでね、私達は「ピノキオ」と言いますが、その頃は「ピノチオ」と言ってね、それに兄がハマりこみました。もう、明けても暮れても「ピノチオ」で。何度か場末で上演したのをわざわざ追っかけて、私も一緒に観に行っていたんですけども。兄は音楽、歌、セリフを全部覚えてそれを私どもの前で全部披露してくれました。コタツに3人であたりながら、春日野八千代さん演ずるピノチオの名台詞で「ぼくあなたを知らないなあ」というのがすごく流行ったんですが、そこから始まりましてね、女神様が淡島千景さんで、声色をそっくり真似て、音楽を口三味線でやって全編やったんです。それほどハマっておりました。だから、そういったことが日常茶飯事に行われておりました。

大森 はい、今も手塚君が記憶力が良かったという話が美奈子さんの方からありましたが、小学校の時に平賀翠さんという女の子がおりまして、小学校二年生の時に手塚君がクレヨンで描いた絵を何枚か見せて「この中で好きなのあったらあげるよ」と言って、箕面の滝にモミジを描いた絵が気に入ってそれをもらったらしいんです。ところが卒業する真際になって、その平賀さんに「前にあげた箕面の滝の絵を返して」と言われたらしいんですよ。何年も前の絵をあげたということだけなんですね。それを覚えていて、その記憶力にびっくりしたというお話があるんですが、その方が今日見えていますから紹介いたしましょう。

大森 同級生の平賀翠さんです。その本の中にそのエピソードが書いてあるわけです。で、悪いと思ったのか、手塚君がその絵の代わりにお父さんの写真の作品10枚くらいくれたと。そんなことも書いてます。これもエピソードなんですけどね、小学校の茶話会で、手塚君が中島豊君とコンビを組んでその頃有名だったエンタツアチャコの早慶戦をやったわけですよ。茶話会で披露したわけです。ところが中島君がすっかり上がってしまいましてね、セリフは忘れるわトチるわで進行がうまくいかないんです。手塚君が躍起になって「違う違うこうや」と彼のセリフまで教えてあげるという。演説は上手い、記憶力がある、というので我々びっくりした経験があるんですが。それくらい彼の記憶力は抜群なんです。

司会 ありがとうございます。手塚先生の記憶力が人間離れしていたというのは、後々漫画家としてデビューして実績を積まれて以降も、アシスタントに外国から電話で原稿の校正の指示を入れると。その時に手塚先生の手元には原稿が無いわけです。で、アシスタントに電話で「そこのページの左から何コマ目のセリフはこうだから、それをこう直してくれ」と。今のようにFAXがない時代なんで、それをやっていたという信じられないエピソードもありました。それは大森先生のご紹介にありましたように、小さい頃からそういう特殊能力があったんじゃないかと思います。

司会 木村さん、貴重な史料があるようでご紹介いただけますか?

木村 手塚先生の少年期の貴重な史料です。美奈子さん説明をお願いします。

美奈子 その頃、父が撮影機を持っており、何かにつけて子供たちを撮影してくれました。「子供の四季」と名付けひとつの映画にしていたんですが、日曜日の夜に披露してくれるんですが、そのことを私が一年生の頃の絵日記に書いたものがあります。
親友が語る2部■美奈子さんの日記1 - コピー

木村 描かれたのは美奈子さんですか?

美奈子さんの日記2
美奈子 これは私です。小学校の運動会を撮影してくれた様子を絵日記に書きました。これも父が8ミリの映写機で映したものです。

木村 美奈子さんも一年生なのに絵が上手ですね。

美奈子 漫画ばかり見ていたので、漫画的な絵しか描けなかったんです。

美奈子さんの日記3朝日会館
田浦 これはベティ・ブープですか?

美奈子 はい、ベティです。ポパイもベティもよく描きました。これは、朝日会館で年に二回くらい「漫画祭り」があり、漫画映画ばかり上映する企画があり、その日の様子を描きました。館内の様子は私が描き、映画の画面は兄が描きました。ですから合作ですね。

田浦 フクちゃんもよく描かれたと聞きましたが。

美奈子 フクちゃんは漫画のほうですね。手すさびに描くのはベティちゃんで、漫画の中にはあまり登場させませんでした。

美奈子 兄が、自身の漫画で映画的手法を使ったことで話題になったのですが、そうかと思うと「そんなのは後付けだ」とおっしゃる方もたまにいるんですね。ですが、これは兄が映画的手法を取った漫画を描いていたという立派な証拠だと申し上げたくて、今日お持ちしました。これは北野中学時代の作品ですが、こういった導入の仕方で、近寄ってきてアップからロングで見ている子供がいる。明らかに映画的手法だと思うんですけども。この漫画に限らずこういった導入の仕方はよくしておりました。

木村 題名は何ですか?

美奈子 これは未完です。この前に『勝利の日まで』の第一作があり、こんな分厚い本でございました。でもお友達にあげてしまって戦災で焼けてしまい紛失してしました。第一作の『勝利の日まで』はまだ戦争が勝っている時代なので、日本が勝っている前提で終わっています。その後ぐるっと戦局が変わりましたので、続きには空襲などが描かれています。

木村 これは何歳くらいのものですか?

美奈子 北野中学時代です。戦局が危なくなってきた頃ですから、この後に続く『勝利の日まで』も空襲など戦争の状況を書いて未完に終わっています。

手塚治虫昔の漫画1ママー2
田浦 これはママーですね。後年『七色いんこ』などに登場するキャラクターで、小さい頃からママーの漫画を描かれたと伺っています。

 ママーは、私が普段開けない引き出しを開けたら「ママー」という名前の咳どめ薬が出てきたんです。そこにママーと書いてあって、その下に梟か何かの鳥の図柄が描いてあり、そこから生じたものです。眼鼻を付けたのはもちろん治虫兄貴ですが、最初、こういうのはどうだという発案をしたのは私です。何か非常に気に入って、しまいにそこから手足が生えてきたんですね。だから、兄貴自身が描きながら「ママーの身体の中身はどうなっているのか」と本人が気にしていたんじゃないかと思います。「潰したら簡単にグシャッと簡単につぶれてしまうゾ」と治虫が言っていたのを覚えています。

木村 手足が出ていないときは謎だったんですね。

 そうなんです。まさか手足が出てくるとは私も美奈子も考えていなかったのですが、そういうところは治虫兄貴の発想だと思います。なぜ最後まで目がひとつだったのか疑問なんですが、あれで結構生き物だということを象徴的に表現していると思うんですけどね。一つ目というのが、怪物じゃなしにユーモラスな性格を持つのは兄貴の手法じゃないかと思います。

 原画を発見したのは小学校低学年だったと思います。美奈子のヒョウタンツギが出てくるだいぶ前です。

田浦 ママーはヒョウタンツギより前だったんですね。ブクツギキュというキャラクターも美奈子さんが描かれたと伺っていますが。

美奈子 ブクツギキュはヒョウタンツギと一緒に生まれました。

木村 美奈子さん、イラストを描いていただけますか?

司会 ヒョウタンツギは、手塚治虫先生の最晩年に至るまで作品の中で頻繁に登場した怪生物で、これが宇都美奈子さんが生みの親とされています。ブクツギキュというのはヒョウタンツギの親戚のようなもので、ヒョウタンツギがキリンのように首を伸ばしている、ファンも咄嗟に思い出せないくらいマイナーなキャラクターですけど、それも美奈子さんが発案されたということです。

田浦 他にもこの手の手塚ギャグキャラクターで、ママー、蜘蛛のような形のロロールル、「オムカエデゴンス」という台詞のスパイダーなどがあります。

司会 オムカエデゴンスは、正式名称はスパイダーと言うのですが、鼻が出ていてとても蜘蛛には見えないのですが、スパイダーと言います。スパイダーのモデルはどういうところからきたのでしょうか?

 私がその原画を作った記憶があります。「オムカエデゴンス」という台詞は治虫の創作ですが、わけのわからない人間というか生き物の原画は私が描いたのを、治虫が加筆しました。

美奈子 スパイダーは背広を着たキャラクターです。もとは悪役で蜘蛛男って名前だったんです。ああいう風に変わったのは、ママー漫画に登場するようになって、ああいった成れの果てになってしまったんですが、本当は怖い存在だったんです。

――美奈子さんのイラスト完成

親友が語る2部■美奈子さん画・ヒョウタンツギ - コピー
親友が語る2部■美奈子さん画・ブクツギキュ - コピー


司会 今、まさに生みの親が描いたブクツギキュです。ブクツギキュとヒョウタンツギはどちらが先に生まれましたか?

美奈子 僅差でヒョウタンツギが先です。名前はいっぺんにつけました。

木村 細かく繋ぐところにポーンと出てきますね。

美奈子 兄は照れ隠しで使ったのだと思います。シリアスな場面をごまかそうとヒョウタンツギを登場させました。台詞はありません。

田浦 このヒョウタンツギはキノコの一種だという設定もありますが。

美奈子 小さいヒョウタンツギがズラッと並ぶのがあるんです。それを取ってスープに入れると美味しいという漫画を描いた時にキノコという設定が生まれました。

田浦 主人公の顔が突然ヒョウタンツギになることはよくあることなんですが、稀な例でヒョウタンツギが自我を持ったストーリーもあったんです。講談社手塚治虫全集には収録されていない、未収録の『ハトよ天まで』で、ヒョウタンツギが仙人という役で登場しました。あまりにも突飛な話なので全集版ではカットされたんですが。

司会 ママーの絵の続きがありますか。工場で作業をしている絵でママーがあったと思うのですが。先ほど浩さんからお話しがあったママーが咳止め薬の登録商標から手塚浩さんが発案されて手塚治虫さんが目と手をつけたのがママーです。これものちに『七色いんこ』など後年の作品に登場します。ですから、かなり強烈な印象をお持ちだったのではないかと思います。このように、幼い頃の手塚治虫さん、そしてご兄妹がご一緒に漫画を共作して、その中でヒョウタンツギなどいろんなキャラクターを生み出していった。それがのちの手塚作品に登場するようになった。ご兄妹仲良くいろいろ本を読んだり漫画を描いたりして育った中で、手塚治虫という偉大な漫画家が形成されていったと言えると思います。
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